« 仕事が終わって手紙を書いた | トップページ | お見舞い »

相方に限った話ではないけれど、精神的に参ってる人・患ってる人は、とかく「理解してもらえない」と口にする。

確かに、ロクに話を聞きもしないで怠け病だと言い捨てる人もいるから、そう感じる気持ちは分かります。

でも、例えば相方みたいに、理解しようと努力を続けてきた人…例えば私なり親なりに対して(相方の場合、対象が誰であれ私にしか言いませんでしたけど)言う人もいる。

逆に聞きたい。

あなたは私のことを理解しているのか、と。

そんな風に言われて、私が傷つくと思わないのか、と。

確かに理解し切れてないかもしれない「けど」「でも」

自分の辛さを分かってもらえないのが辛い。

…その繰り返し。

自分が辛いことしか見えてない。

お互い様に出来ない。

私もそう。

相方の辛さを、苦しさを、理解するように努力したつもりだった。

でも、相方が求めるほどには理解できなかったし、行動も出来なかった。

それを責められて辛いと感じた。

どうしてその辛さが分からないんだろうと思ったし、言ったこともある。

私だって辛いのに、と。

望む対応が出来なかった私が悪い?

理解できなかったから、理解してもらえなかった?

私がもっと頑張って、もっと工夫していたら、理解できて、理解してもらえた?

大事に思ってることを伝えるのに、どうしたら良かったんだろう。

相方の言いなりになっていればよかったんだろうか。

甘えが酷くなるとか駄目にするとか考えずに、それこそ相方の将来的な回復力を信じて、相方の思うままにさせてあげたらよかったんだろうか。

でも、そんなことをしたら、もっと早い段階で生活は破綻してたんだし…

道はあると思ってたのに、いつの間にか同じ道をぐるぐる回ってしまっていて、その輪から抜け出せなくなった。

「でも」「だって」という言葉で、気持ちも考えもループする。

それが分かってるのに、他の言葉が出てこない。

決断が出来ない。

|

« 仕事が終わって手紙を書いた | トップページ | お見舞い »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 仕事が終わって手紙を書いた | トップページ | お見舞い »